資産価値のあるデザイン。
マッキントッシュ イームズ 柳宗理 ヤコブセン ゴルビジェ・・・名だたるインダストリアルデザイナー、特に秀逸な椅子のデザインを考案した先人達の本物の作品に、いつの日か触れてみたいと昔から憧れています、しかしながら清貧(笑)な弊社の待合コーナーでは、とりあえずコピー商品で我慢しています。
誰の目にも美しく映る、素晴らしいデザインは永遠に残るでしょう。では、昨日話題をさらった東京工業大学の“太陽電池パネルの塊ビル”は将来どういった評価を受けるでしょうか?
電力をほぼ自給自足・二酸化炭素の排出量は60%削減・燃料電池を併用・・・、最先端のテクノロジーを惜しみなく採用したことは解りますが、これを建築技術のイノベーションとして評価をすることには抵抗があります。それは何故か?私には、あのデザインはどう見たって“醜悪”に感じたからです。
住宅のデザインはそのまま評価(価格)に直結します。ただし、デザインの好みを、合理的に数字で評価する方法は開発されていないので、最終的には個人の主観に委ねられるのですが、客観的に見て“醜い”ものは醜いのであって、個性を追求しすぎると「財産」のはずが「負債」にすらなり得ます。
不動産の場合は建物のデザインだけでなく、立地との調和も求められます。周囲に伝統的なデザインが残る地域に、先進的なデザインを持ち込めばかえって陳腐に映りますし、逆に調和だけを考えすぎると没個性となり、所有者としての満足感は減少するかもしれません。
建築関係の技術の進歩、法律の定めにより、日本の住宅建築は多種多様なバリエーションが発生しました。それを建築主は自由に選べるようになり、施工会社は建築主の“受け”が良いように「売れる」デザインを提供することに腐心します、それが現在の乱れた街並みの根源でしょう。
以前、話題になった、“楳図かずお邸「景観」問題”について司法は、お咎め無しという結論を下しました。あれはあれで間違った判断ではないと私も思いますが、もっと問題視してもよさそうなデザインの公共建築物も巷には溢れています、そう考えると日本人は皆建築デザイン音痴なのかもしれませんね。
では、これからマイホームを建築する人はどうすれば良いでしょうか?せっかく一大決心をしてつくるマイホームなのですから、自分の想ったようにデザインしてみたい気持ちは解りますが、資産として考えるのであればやはりプロ(中途半端な営業マンではなく、本物のプロ)の意見を最大限参考にして決めるようにしていただけたらと思います、10年後、20年後には「やっぱりプロに頼んで正解だったな。」と思っていただける時が来るでしょう。